2005年10月10日

風景の未来・電柱の未来? その二

sunset.jpg

前回は前口上もかねて日本人の原風景ってのは自然豊かな農村なんかじゃなくて、実は、見た目が無機質だとか景観の邪魔だとか非難されている「電柱」の在る風景なんじゃないかと論じてみた。

そして今その電柱が、それほど意味のあるのか無いのか分かんない理由で莫大な予算をかけて不可視化されつつあること、反電柱派は市井のみならず国家行政の中枢で「無電柱化」プロジェクトを進めていることを確認した。
じゃあ電柱が好きな人、電柱のある光景に懐かしみを感じてしまう人、電柱こそ美しいのだと思う人達はどうしたらいいんだろう。
その答えは、電柱が好きでも嫌いでもない人達を、ひいては反電柱派も説得可能な価値を電柱に見いだすことにある。

今日はその続き。電柱の未来やいかに!?
まあ一言で言えば、電柱をもっと有効活用するにはどうしたらいいんだろうって問題になる。
今でも電柱に広告を貼り付けたりして、電力会社なんかは収益を得ているみたいだ。でもコチラによれば必ずしも全ての電柱のに広告が出せるわけではなく、おおよそ10分の1。理由は景観条例などのためらしい。

見た目が悪くなくて、実用的で、かつ電柱にしかできないことって何かないだろうか。

■電柱とはなんぞや

電柱はそもそも電柱に送電線を掛けるためのポールという役割を仰せつかっているわけだけど、それは電気をどこか遠くの発電所から引いてこなくちゃならないからだ。大概は発電所からまず送電用鉄塔に乗って各地へ、そこから電柱づたいに各家庭へと電気が流れる。

でも、本論ではその現実をひっくりえす提案をしてみる。
電気を輸送するだけじゃなくて、電柱そのものが発電しちゃえばいいんじゃないかな。
だって、せっかく太陽光発電とかあるんだから。

■電柱の現状

じゃあまず日本の電柱の現状。
現在日本の電柱総本数は約2000万本らしい。人口6人に1本ですか。立ても立てたりってカンジですな。

じゃあ、その表面積はいくらか?
一本あたり円周が1.0メートル、高さが10メートルとしても、日本国内総計で2億平方メートル(200平方キロメートル)。
これは東京ドーム4300個分!皇居170個分!にもなる。この例えがわかんない地方出身の皆さんには琵琶湖の3分の1。霞ヶ浦より1.2倍大きいといえば分かってもらえるかしら。

■発電量を計算してみた。

一方で、太陽光発電パネルの1平方メートルあたりの発電量は、おおよそ50ワット〜100ワットとされる。日本の平均的な一日当たりの日照時間は3〜4時間。
少なく見積もって一平方メートルあたり一日で150ワットの発電が可能だ。

そんで、この総表面積に太陽光パネル1平方メートルあたりの発電量を掛け合わせると。日本中の電柱の表面を「全部」太陽光発電パネルで覆ったときの発電量が出る。

150ワット × 2億平方メートル = 300億ワット!
キロ表示に換算すると一日当たりにして0.3億キロワットの発電が可能になる。

環境省が二年前に出した「地球温暖化対策推進大綱」によれば2010年の太陽光発電の導入目標は480万キロワット.
超楽勝じゃん!!

■で、誰にメリットがあるの?

現在では地表に降り注ぐ太陽光をエネルギーに変換できるのは10パーセントくらいらしい。しかし単位当たりの発電量の向上によっては倍々ゲームがありうる。それが代替エネルギーなんてものに予算を掛ける面白味なんだろうけど、じゃあ。技術革新の進展で一番困るのは誰か?

そう、それは電力会社に他ならない。
電力を買うよりも太陽光パネルならべて自家発電したほうが安くつく未来は、おそらく確実に到来するだろう。そんな時、電力しか売り物のない電力会社はレーゾン・デートルを失うことになる。

だから電力会社には自ずから代替エネルギー事業に乗り出すインセンティブがあるはず。
東京電力なんかはいろいろと取り組んでるみたいだけど、でも見る限りまだまだCSR対策程度だ。
電柱派はこのポイントで電力会社に働きかけることができるんじゃないだろうか。己の資産をよく見てみろってね。

一般の市民に対しても、代替エネルギーのクリーンなイメージを積極的にアピールできる。市民運動レベルではなく、営利企業が本気で太陽光発電に乗り出したら導入コストの低下や技術革新も続いてゆくだろう。

その先に何が期待できる?それは社会による、「電柱は美しい」っていう認識の変化だ。

■まとめ。

ただ、ここまで飛ばしておきながらなんだけど、筆者は必ずしも熱心な電柱保守派ではないんだよね。

いや、やっぱり電柱と夕焼けの重なった光景はキレイだし、送電線のかかる山並みに妙なセンチメンタルを感じないでもないんだけど、やっぱり道端の電柱なんて、歩行者や、特に車椅子に乗っている人なんかには無ければないほどいいものに違いない。

だから必ずしも無電柱化に反対じゃなくて、そうすべき所はそうしてもいいんじゃないかと。ただ、電柱推進派の電柱と電線を「醜い」の一言で片づけようとする態度はやっぱり傲慢だ。

只これに関して。
前回は電柱のある風景を日本人の「原風景」と言ってみた。でもこれだって、電柱以前に懐かしみを覚える人に言わせれば、「勝手に決めるな」事になる。
「趣味のことで言い争うなかれ」の箴言通り、こういう議題にはやっぱり合理性の有無に基づいた議論がふさわしいと思う。
そーゆーわけで、先にあげた計算は荒っぽいのでツッコミどころがあれば教えていただきたい。

最後に反電柱電線派のみなさんへ。
電線の先には電力を必要としている人がいて電力を必要とする生活があるわけで。そう考えて眺めてみると、電線が空を覆っているのもそんなに悪い光景じゃないんじゃないかな。utility poolの名にふさわしく、日常の、愛くるしいほどの生々しさがあって。
posted by 灰だらけ猫 at 00:03| Comment(2) | TrackBack(0) | ほしいものねこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
東京の電線の敷設率は3%程度です。
全て無くす必要もないですが、
せめて50%ぐらいになればいいのでは
と思っています。

美的感覚は主観が入るので議論は不毛
になる傾向がありますが、今の電線
はあるより無いほうがいいのではと
思っています。むしろほとんどの人が
スルー(気づいてない)しているのが
悲しいですね。

Posted by sakasita at 2006年12月01日 11:07
一年も前のエントリにコメントありがとうございます!

sakasitaさんの仰る敷設率は、すべての電線に占める「地下mに埋まった電線」の割合、ということでよろしいですか?
だとすると、この狭苦しい東京ですから景観の点からはもっと埋めていくのがよいのかもしれません。
ただ個人的に気になるのは、大規模災害、特に地震なんかが起きて寸断されたときに復旧が困難になるのではないか?また、電線の補修工事との名目であっちこっちの道路が四六時中掘り返されることになりはしないか、という二点です。
いちど敷設したら、あとは修繕、改修作業が主になる設備でしょうから、海外などでそのあたりがどうなっているのか、気になりますね(´ー`)

あと美学は共有できずとも、上記のような機能的な側面であれば議論によって妥当な結論を出すことはできますよね。そういう意味でsakasitaさんの仰るようにその善し悪しにもっと関心が集ってほしいですねー
Posted by haidarakeneko at 2006年12月16日 09:37
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