2005年10月08日

風景の未来・電柱の未来? その一

sunset.jpg

「日本人の原風景」という枕詞に続くのは、清流のそそぐ田園や四季に色づいた里山と相場が決まっている。

広辞苑を引いてみると「原風景」とは
心象風景の中で、原体験を想起させるイメージ。
らしい。

でも、それなら都市部で生まれ育ったり、ファミコン以降の世代にとって農村風景が「原体験」に関わってくるパーセンテージは格段に下がるはずだ。「原風景」=「農村」図式が成り立ちうる日本人は多分そんなに多くなくて、そしてこれから益々減少する傾向にあるんじゃないかな?「原風景」=「農村」だと思いこんでいる都市部出身者は記憶力が足りないし、きっと、それは共同幻想に違いない (σ・Д・)σシテキ!

じゃあ、日本人全般に当てはまるような、「普遍的な」原風景なんてありえないのかって言われると、いや、そんなことはないと思う。

「日本人の原風景」は実在する。雨の日も風の日も、老若男女、地方出身者も都市出身者も、あらゆる日本人にとって普遍なる「見慣れた」、ランドスケープ。

そう、それは「電柱」である!

■消滅の危機にある原風景

そして、今その「原風景」がゆっくりと消滅させられようとしている。

いわゆる「無電柱化」というやつ。一般に電柱をなくして、電線をすべて地中に埋め込んでしまおうという計画を指すみたいだ。
その要諦は担当省である国土交通省の「無電柱化推進計画」に書かれている。国家プロジェクトとして既に20年の歴史があるみたいだ。

そして、そのメリットは、
1.歩道スペースの増大
2.災害時の倒壊防止
3.地区景観の向上
4.情報通信ネットワークの再構築

と説明されている。これは他の無電柱化推進関連サイトでもほとんど同じことが述べられている。

この説明を読んで、まず、以下の3点について疑問が湧いた。
1.について 
→ 街路樹はよくでなぜ電柱はダメなの?
2.について 
→ ケーブルが焼けこげたり、使用不能になったりしたらいちいち掘り返さないといけなくなるんじゃないだろうか?大規模な震災時に、どこがショートしてるか分からないって理由で辺り一面掘り返す余裕があるんだろうか。
4.
→ これは別に地中に埋める必要ないじゃん

■電柱が無いほうが美しい?勝手に決めるなYo!

じゃあ、3番目はどうだろう。地区景観の「向上」?!
つまり推進派は、電柱と電線が街並みから消えることが美的観点から「良い」のだ、と言いたいらしい。電柱も電線も「日本の」美しい景観を邪魔し、壊しているといった主張だ。

もうちょっと、いろんなソースを見てみる。コチラコチラのコメント欄で議論されているけど、反電柱派の人は、先の1.2の論点に加えて
最近、欧州旅行(ドイツ)に言ってきたのですが。ドイツの都市の計画的な景観は、とても感動的でした。その後日本に帰国して、町の景観の醜悪さに、愕然としてしまいました。
これは、外国に出て、そして帰ってきてはじめてわかることだと思いました。すこしづつでもいいから、日本も電線の地下敷設を考えるべきだと感じました。
sakasita氏

コストコストといってる人もいるけど、多少お金をかけても景観を良くしていこ うと思う人はそんなに少ないのですかね。自分の住んでいる街の景観が美しいって相当いいことですよ。
sawam氏


と、やはり電柱のある風景が「美的でない」っていう価値観に基づいての「電柱批判」を行っている。(美的基準まで西欧中心主義ですか、そうですか。)
それぞれのコメント欄も電柱派と反電柱派の好き嫌いに基づいた神学論争が展開されたあげく、議論は尻すぼみになったみたいだ。

そんじゃもう一度、反電柱派のドンにお出まし願おう。国土交通省はその「美しい国づくり政策大綱」において
他方、国土づくり、まちづくりにおいて、経済性や効率性、機能性を重視したため美しさへの配慮を欠いた雑然とした景観、無個性・画一的な景観等が各地で見られる。

と、己を棚に上げたような批判をしつつ、
平成16年度から始まる新たな「電線類地中化計画」を策定して、電線類地中化の一層の推進を図る。

と、決意表明ときた。
そしてこの「大綱」に基づいて道路整備事業のPR組織まで立ち上げてるんだから世話ーない。その独善によって国土を分断しておきながら、また、その独善によって国土を改変しようとしている。なぜ、「何もしない」という選択肢はないのだろう。フタタビ(σ・Д・)σシテキ!

■どうする電柱派!

じゃあ日本に少なくないと思われる(コチラなど)電柱ファンのなすべきことは、なんだろうか。

アジビラやデモは無意味どころか反電柱派と同じムジナとなってしまう。
とるべき方法は、先にあげた1や2に匹敵するような効用を、反電柱派を唸らせるようなメリットを提示すること。それによって、神学論争を避け、世論に対し合理的判断の材料を提供することじゃないだろうか。

次回エントリでは、電柱を残すために、電柱に何ができるかを考えてみたい。そして、それは自ずから、電柱の「未来」を考案することになる(かも)。
posted by 灰だらけ猫 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ほしいものねこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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