2005年10月04日

「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その三 まとめ

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えーっと、筆が滑って表題の示すトコロからはだいぶ遠くまできてしまった感があるんだけど・・・。
前々回はひとまず表題の通り(?)の中身。前回はそこに公共体そのものの「分権化」ベクトルが加わることによって、公共財の供給がより身近なものになってくれるかもっていう観測気球を飛ばしてみた。

そんでもって、今日でこのテーマは一応纏めてみる。
論点は「でも、そんなに上手くはいかない要素」も同時に存在しているなーってこと。その一その二を経てたどり着いたのは、現代日本の変動のベクトルの先には「公共財の供給体」の多様化と「供給される側」の範囲の縮小がある。それゆえ「何を公共財とするか」という合意をより取り付けやすくなるだろうっていうことだ。

そんでその帰結として(おそらく徴税権をはじめとする行政上の権限なんかがもっとdecentralizeされなきゃならんけど)「個性ある地方」の開発がより容易になると考えられる。
これは昔から、小沢一郎センセをはじめ、いろんな論者が提言してきたことだ。

「戦後60年近く、中央集権体制のもと全国一律・公平に行政サービスを提供するということで、日本の地方行政は運営されてきた。しかし、社会資本など地域での整備が進展した今日、そうしたシステムは機能しなくなっているのではないかと考えられる。地域が独自色を打ち出していくべき時代になっている。」
白川一郎『自治体破産 再生の鍵は何か』NHKbooks 日本放送出版協会 2003年 pp230-231)


地域や自治体がその独自性によって競争し、「顧客」としての住民を惹きつける(この考え方は嫌いな人もいるだろうけど)。そして、それぞれの自治体・地域コミュニティが、それぞれの需要にあった地域創造を行うことによって、さらに独自性が高まる。
この循環が上手く機能すれば、この狭い日本で、個人がその年齢や価値観、ニーズなんかに合わせて各コミュニティを選択可能な社会が出現するかもしれない。キブツにせよ「新しい村」にせよ、上山氏が唱える離脱可能な社会(仮)にせよ、多様な「○○社会」が併存するための前提条件を作り出す、その一つの要点として、今回の総選挙なりこの変革の四年間なりを捉えてみてもいいんじゃないだろうか。

そのような社会が現れてくれればと70パーセントくらい思う。
だから、こんなエントリを書いているんだけど、やっぱりそう簡単にはい神崎。「何かが足りてないかも・・」と頭ひねってたら、ドンぴしゃで圏外からのひとことさんのこのエントリ

ローカル・コンテクストの共有から自動的に派生する公共性というものを、アメリカ人は信じません。だから、子供を公教育にまかせることも嫌がるし、オーケストラのような文化的な事業も自治体にまかせようとはしないのです。

しかし、徹底した個人主義のみでは社会は回らないので、その「役所」的「公」への不信を補う、別の信頼があるはずです。「役所」的「公」の公共性とは別の公共性に多くの役割を負わせているはずです。


これだ。
「公」に頼りすぎない姿勢というか気概というか、少なくとも「財政状況」とも「政治力学」とも違う、その社会に潜在している文化的な何か。

さっきは地域社会や自治体から財・サービスを供給される側を「顧客」と書いた。これは供給側の意識がそうあるべき(Value For Money!)と日頃考えているから。
一方で、供給される側、住民、市民、なんでもいい。サービスを受ける側にも、対応する「文化的な何か」が必要なんじゃないかな。「税金を払って公共サービスを買う」だけではない何かが。

いかんせん小さな公共体は財政的にも政治的にも力が弱くなる。公共財へのフリーライダーを取り締まるコストも馬鹿にならない。

「より小さな公共財の供給体」の成立を目指すことを考えてみると、やっぱり、お金持ちに対して妬みやワイドショー的関心が先行するこの社会は、「自ずから公共性」を形成することを許すような、社会的承認(法制度なんかも含めて)がまだまだ足りないんじゃないかと思うわけだ。


まあ、形から入るってのもアリだと思うし、基本的にはこの「小さな政府」+「地方分権」の方向性は間違っちゃいないだろう、と思う。

さらに言えば、阪神大震災以降の、ボランタリーな社会活動への関心の高まりは、ポジティブに捉えていいはずだし、誰も過去も未来もこの社会に「ドネーション」や「ノブレス・オブリージュ」の気心に支えられた公共性が成立する余地が無いとは思わない。(それでは負の日本特殊論になってしまう)
言い換えれば「公的な分配」に対する「私的な分配」を促す何か。
そういうものをさらに逞しくするにゃどうすりゃいいのってことを、また別の形で考えていきたい。

ぬー、何か作文調で終わってしまった…
鍛錬が足りない。

このエントリは連作です。
一番目のエントリはこちら「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その一
二番目のエントリはこちら「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その二

追記1
2005/12/22三ヶ月前の文章なのに今読むと恥ずかしい・・・。なんかblog開設間もない頃の、気張って陽気な文章だなあと。そこで、少しだけ文体を変えたりリンクを修正しました。
なお、この一月半後に地方の安楽死 メモ1「仕事をください〜若者を襲う就職難〜」をみましたよ〜なんてエントリを書いていることからも分かるとおり、まあそんなに上手くいくめえ、と考えているわけです。もはや「個性」を打ち出さなきゃならない競争に耐えられないような地方都市は確実に存在していて、「小さな中央政府」と共に「地方分権」を徹底させたとしても、救われないコミュニティや人びとは間違いなく生まれてくる。

それを、公共投資と過大な地方交付税による「護送船団型分配政策」で維持されてきたへたれ地方を正すものであると。最適経済圏を取り戻すためには仕方がないのだと正当化するとして、それでもなお、好きこのんで地方の寂れた街に生まれてきたわけではない同世代の野郎どもが、友人や従兄弟といった属性で存在している。
幸いこの国では、寒村の同世代と都市在住の同世代との価値意識の差異は、まだそれほど大きくないはずだ。じゃあ、今この瞬間に、まともな討論ができる場を与えられたとして、都市在住の側に立つ自分は彼らに対し何を言えばいい。
上位世代からの年金やら国債やら外交上の失政のツケに腑が煮えくりかえっている自分が、同じように、誰かを憤激させずにいられないとしたら何とも凹な話だ。

寒い季節になると、どうもそんなつまらないことを想ってしまう。ただ、もう少し、最近ではあまり言われなくなった「世代」とか「世代」を指標とした連帯について何か書けるような気もする。
posted by 灰だらけ猫 at 19:49| Comment(1) | TrackBack(1) | 公共政策ねこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ニャンコ灰だらけ
Posted by Bradley Ward at 2007年12月16日 18:57
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