2005年10月03日

「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その二

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前回の「「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その一」では、日本っていう国がどうも「小さな政府」に向かう言語的地理的な要因を抱えていて、それはアナーキストを除けば、分配肯定派、否定派に関わらずそれなりにメリットがあるんじゃないかってことを示唆してみた。
今日はその続き。

「みんなの意見・主義主張・規範意識はいろいろ」→「だから意見の集約できる(もっと小さな)範囲で物事を決定したり実施したりしよう」という論述に対しては「公共財の逆選択」の観点からの反論がありうるだろう。保険の例が参考になる。
曰く、「必要とする人だけが加入する医療保険」は病院にかかる必要のある不健康な人間ばかりが集まる。そのため保険料支払い額が掛け金を上回るため破綻する。よって医療保険制度は共同体の構成員全員に加入を強制させるシステムを取らざるをえないってなかんじで。

だけど、今の都道府県ぐらいの規模であれば、大抵の公共財(道路敷く、ゴミ収集する等)は供給可能なはずだ。それに医療保険のようなもの以外の財・サービスまでもが、「公共財」と名付けられて国家規模の分配システムの中に組み込まれているのが現行の日本社会じゃないのかな。そして、そういう状況に憤りを感じている人達は少なくないのが現状だろう。

そして、これがこのメモ全体に関わる第二のポイントなんだけれど、国家政府の縮小とともに、地方分権を唱える声が喧しい。これをひとまず「中央集権制から連邦制へ」という流れで捉えるのは間違ってないと思う。
でも、これに対しては「地方政府の拡大」と警戒する論調がある。つまり、国家政府の役割が削られても、その分だけ地方政府の仕事が増え、結果的に行政全体のスリム化は果たされない、という主張。
そう考えると、今日本で起こっていることを「分配国家から新自由主義的な福祉削減」であると、単純に言いつのるのは些か先走り過ぎじゃないだろうか。だって、地方政府やそれ以下の単位での公共財の供給が禁止されるわけじゃないんだから。

地方分権については全く不勉強で、あんまり確かなことがいえない。ただ、昨今取りただされる税財源の委譲がこのまま進むことは、つまり地方自治体独自の政策形成がより可能になるということだ。

さらにいえば、直接民主制が可能なくらいの規模の自治体がそれなりの権限を持てば、住民の十分な討議と合意の上でその自治体を社会主義化したり、共産主義コミューンに衣替えすることだって可能になる(これは別に大げさな話じゃないと思う。特に農村とか。知名度は低いけれども、イスラエルの「キブツ」のようなものは存在する)。
何をおいても、現行の社会システムよりは、ずっと「分配する共同体」が作りやすくなるはずだ(勿論その逆もまた然り)。

「小さな政府」+「地方分権」=「?」
たぶん、これからの公共財の供給体については、この組み合わせで考えてみる必要があるんじゃないだろうか。
まとめは次回

このエントリは連作です。
前エントリはこちら「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その一
この続きはこちらへ「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その三 まとめ
posted by 灰だらけ猫 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 公共政策ねこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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