2005年10月01日

「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その一

kokkaigijido.jpg

oribeさんのMeine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜には日頃から勉強させていただいてるんだけれども、こちらを眺めていて思ったのは、日本はやっぱドイツよりはマシなんだなーということ。

そんなこと言うと、貴様も「特異な病」の罹患者ですか!って嘲笑する向きもあるみたいなんだけど、別に「福祉切り捨てマンセー」って小躍りしたいわけじゃない。あれだけ官僚天国官僚天国って内外から言われ続けてきた国で、「福祉」なり「公共政策」なりの供給主体がだんだん変化しつつある現実に対しては、やっぱりある程度の評価ができるんじゃないかなと思う。そして、それは「リベラル」「左派」を自称するような人達(特にここでは、この間の衆院選の結果に苦虫をかみつぶしたような顔をしている人達のこと)にとっても決して悪い話じゃないんじゃないかと。

勿論、その評価をどうするって基準はいろいろあって、今回の選挙の前後を通じていろんなブログでもそれは為されてきた。政治学も政治思想も素人な人間が何をか言わんや、ってカンジだけど、ここで恐る恐る提出したい論点は、いわゆる新自由主義(この言葉はやっかいだなあ)的な「公共の再編」ってのが、日本って国の地理的言語的状況にあってるんじゃないかなってこと。

つまり日本語のようにマイナーで応用の利かない言語下にある国家とか共同体では、一度「(゚Д゚)ハァ? 」ってなことを公共体が始めても、そこから逃げ出すことができない(またはかなり難しい)。さらに、いつでも逃げ出せるやつ、逃げだそうと努力できるやつは一般的にかなり優秀な部類に入る構成員であるから、逃げ出してもらってはその共同体にとって相当の損失になる。加えて、「公共体に求めること=公共財供給」の内容についても、成熟した社会ではその構成員の意見が多様化する。よって国家規模での合意形成は以前にも増してなんらかの反発(「そんなもん自己責任だろ」「何、勝手に決めんだよ」等)を受けやすくなる。

つまり、もう国家規模の政府や公共体が何かをすることが「やりにくく」なる素地ってのが現代日本では出揃っているんじゃないかってことだ。政治・行政の腐敗とか、玄孫の代までかかっても返済できるかどうか分かんないような財政赤字の存在以外にも、国家政府の役割を縮小するベクトルが働く要因(もとい、そうすべき理由)が存在するんじゃないか、と思う。
これは現実がどうのこうのってよりは、もっと理念的なハナシだ。「みんなの意見はいろいろ」→「だから意見の集約できる(もっと小さな)範囲で物事を決定したり実施したりしよう」。

自分はこの方向性は基本的に「良い」もんだと考えていて、じゃあ、それがどうして「リベラル」「左派」を自称するような人達にとってもそんなに悪い事じゃないのか、は次回以降。。まあ、みんなだいたい分かってることだろうけどね。

この記事には続きがあります。
「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その二
「小さな政府」を推進する(べき)地理的言語的要因? 公共財の供給体についてのメモ その三 まとめ
posted by 灰だらけ猫 at 19:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 公共政策ねこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/7568941

この記事へのトラックバック

論者
Excerpt: 「小さな政府」を推進する( お引越し 経済原論講義 ホピ 白い兄 北朝鮮との政府間協議-解釈 北朝鮮との政府間協議と大久保 [TV]「失われた [5140]韓国揺るがす「歴史 九条原理主義の擁護--伊..
Weblog: 論者
Tracked: 2005-10-01 20:01
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。